2021.01.26 Tuesday/ |
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豆ずきん読本でも書かせてもらっている、
私のものづくりの原点、 『こどもアトリエ』 の榊健先生の 追悼凧揚げが先日の日曜日に行われた。 『こどもアトリエ』 とは、 簡単に言えば、 子供のための美術教室。 美術にとどまらず、 木工あり、山歩きあり、竪穴式住居の建築ありの、 「ものづくり」教室といった方がいいかもしれない。 私は小学校1年から通い始めた姉にくっついて、 幼稚園から小学校4年生まで通っていた。 本当は幼稚園児は受け入れないんだけれど、 無理言って、姉の横で自由に絵を描かせてもらっていたらしい。 そして、小学校6年生で卒業、となるのところを、 私が5年生に上がる前に大病をしてしまい、 泣く泣く辞めることになってしまった。 けど、今から思うと、 フェイントで入れてもらってた分かな?なんて思ったり(笑) 5、6年生でやる版画や油絵は出来なかったのは残念だけれど、 フェイント入学を入れたら6年。 物心付くくらいの小さな頃から、 絵を描く楽しさを教えてもらえて、 誰よりも贅沢させてもらったと思っている。 凧揚げは、アトリエの恒例行事だった。 冬は絵本作りと凧作りがメイン。 その中でも凧作りは、今から思うと本当に貴重な体験。 私にとって、凧は買うものではなく、作るものだ。 和紙に、先生が大まかに下書きを鉛筆で描いてくれる。 あくまで大まか。 絵柄は、勇ましい武士など古典的なもの。 (いわゆるねぶた祭りみたいな感じ 笑) 写真を見ながら模写をし色を塗っていく。 次は骨組み。 竹ひごを使って、組んでいく。 もちろん、ナイフも使う。 けれど、怖いと思ったことは無かったな。 たぶん怪我もしただろうけど、覚えていない。 子供の頃の怪我なんて、そんなもんだ。 怖がるのは大人の方。 ざっくり切ってしまったって、いつかは治る。 私が作った凧は、 上がったためしが無かった。 姉もそう。 いつも、くるくる〜っと円を描いて、すとん、と落ちるだけだった。 寒空の中、 「も〜なんでぇ〜!?」 なんて思いながら、けれどなんだかそれもおかしかった。 失敗か成功かなんて気にしたことなかった。 ただ、作ることが楽しかったし、 作ったことが嬉しかった。 さて、 20年以上ぶりに参加した「こどもアトリエ」の凧揚げ。 会場の八幡の河川敷にあるグランドは、 午前中は快晴。 駅からサイクリングロードを歩いていくと、 さっそく凧が見えた。 凧揚げなんて・・・やるのはもちろんだけど、 見るのも久しぶりだなぁ。 豆ずきん読本にも書いているが、 私はアトリエでの友達は全然おらず、 (ひたすら黙々と制作ばかりしていたので・・・) 残念ながら同窓会的な感じにはならなかったけれど、 現役の子供達が作った凧を見ていると、 懐かしさが込み上げてきた。 少し違うのは、 現役の子供達の凧は、 見事に空へと上がっていたことだ。 今の子達は器用なのか。 それとも先生の教え方が丁寧になったのか(笑) 先生のお葬式は家族葬で行われたので、 この日は、 先生が最後まで乗っていらしたという車の荷台に祭壇が設けられ、 ご焼香が出来るようになっていた。 テントが貼られ、 奥さんと先生の写真が飾られていた。 真ん中に木彫りの仏様。 その周りに、先生が晩年の趣味として作られていた 能面が飾られていた。 病床での写真もあったが、 少し痩せてはおられたものの、 なにひとつ変わらぬ笑顔がそこにあった。 それがまた涙を誘った。 とても怖い先生だったけれど、 何故か思い出すのは、笑顔だ。 先生に褒められることは、 心底嬉しかったな・・・。 今回は、 姉夫婦と妹と姪っ子&甥っ子と参加。 先生のご友人が、 なんと50枚の凧を作ってこられて 参加者にご提供くださった。 私たちも1枚頂く。 姪っ子は、おそらく始めて見る凧上げ。 初めは、手元にある糸と空に上がってる凧が つながっていることがいまいちわかっていない様子。 けれど、しばらくすると、 「あおいちゃんのたこ〜」 と言いながら喜んでいた。 あと2年もすれば、 私が通い始めた年になる。 けれど、この子が行くアトリエは無いんだな・・・。 そう思うと、 出来る限り、 私たちがあの頃感じた ものづくりの楽しさを この子達にも教えてあげたい、と思った。 だんだん風がいい感じに吹いてきて、 凧もたくさん上がってきた。 何より圧巻だったのが、連凧。 この連凧は本当に凄かった。 写真じゃ上手く伝えられないのが残念。 まるで龍のように天へと昇っていく連凧。 思わず、見とれてしまった・・・。 最後に、先生と奥様へのメッセージを寄せ書きした「健凧」と「陽凧」が上げる。 有難うの言葉がたくさん書かれていた。 私は、 「先生のおかげ」 と書き記した。 豆ずきん作家として今の私がいるのは 先生のおかげ。 自分の手でモノを作って、生活していく。 そこにたどり着いたのは、 子供の頃の経験があったからだと私は思っている。 なかなか飛ばない「健凧」に 一同、ため息と笑いが起こりながら、 やっとこさ「陽凧」と仲良く並んだ。 本当に本当に素敵な光景だった・・・。 数年前、 私が通っていた嵯峨教室を辞めると聞いて伺ったとき、 遅めの昼食に付き合えと、 別室で先生と二人になったことがあった。 コンビニで買ってきたサラダとおにぎりを食べながら、 先生は私にいろいろ話をしてくださった。 考えてみれば、 先生と二人っきりで話をしたのは、 これが最初で最後だった。 いろいろ印象的な時間だったけど、 そのときの話はここでは書かない。 全てのことには 終わりがくる。 だからこそ、 進んでいくべきなんじゃないかと思う。 人間、それしかないのだから。 同じ進むなら、自分の道を。 そんなことを先生との会話を 思い出しながら、改めて思った。 先生、 本当に有難うございました。 それしか、言えませんわ。 合掌。 comments(8) | - |PAGE TOP↑ -
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